自分の為のメモ

吐き出すブログ

10月17日

 

先日、私はどうしていいかわからなくて、包丁を手に持った。母は冷静だった。妹が私を落ち着かせてくれた。

包丁じゃ死なないよ、と母が言っていたのだけ覚えている。それ以外はわからない。気付けば職場に連絡を入れて、退職させてほしいと訴えていた。

私は仕事を1日も経たずに辞めた。それがどれだけ非常識なことだろうか。どれだけ馬鹿なことだろうか。

死のうと言う私を見た妹と母の気持ちはどんなものだったろうか。

私は本当に誰かに迷惑をかけるしかない存在だ。これ以上迷惑をかける前に、死んだ方がいいに決まっている。そう頭の中で私の中の私が決めつけてくる。

だが、家族が私を愛してくれているのもわかる。自立してほしいと望んでいるのもわかる。その反面、互いに依存している部分があるのもわかる。家族は皆精神的に病んでいるし、私だけが病院にも行かずヘラヘラと笑っているのだ。

私だけがこの家族の中で唯一健康だった。筈なのに。今でも病院には行っていない。行くお金がないのだ。だって、ようやっと決まった仕事も辞めてしまった。私は社会にはじき出されたのではない。社会を恐れて逃げてしまったのだ。逃げた先にあるのは、より一層辛い現実だけだと知っているのに。わかっているのに。私は酷く身勝手で、どうしようもない人間だと心から思う。

死にたいと思うのは病気なのだろうか。怖くて何もできなくて、何もしたくないと思うのは病気だろうか。検索すれば病気だと出てくる。それが嫌で携帯を閉じるのに、私はまた検索してしまう。私はどうして生きているのだろうか。私は何故生きなくてはいけないのか。

生きることは良いことだ。本当にそうだろうか?

もうずっと、死んだ方がいい、と頭の中で声がする。高校生の時からだ。気分が落ち込む度に、死んだ方がいい、と。死ななきゃ駄目だ、と。誰かの声がする。

学生の頃も、落ち込んだ日は一日中布団で寝ていた。涙を堪える為に、携帯でずっとネットを見ていた。明るい日は普通の高校生だった。寧ろ、テンションが高い日だってあったかもしれない。

社会人になると、そうもいかなくなる。落ち込んだ日も生きなくちゃいけない。そもそも、落ち込む暇なんて与えてくれない。それに対して体がついていかない。大学もそれが原因で辞めてしまった。お金の面もあったが、今はあの時よりもずっとずっと迷惑をかけている。

一度誰かに、死んだ方がいい、と、面と向かって言われたい。お前は屑で鈍間で何もできなくて最低でどうしようもない奴だ、と。そうすれば、やっぱりそうだったんだ! と、開き直って死ねる気がするのだ。

今の私を縛るのは、なんなのだろう。やはり家族だろうか。

 

私は生まれてきたことを心の底から悔やむ。産んでくれた両親には感謝している。

だが、こんなどうしようもない娘に育ってしまった自分を愛さないでほしい。

そしてどうか、私が死にたいと思うことを、心の底から、愚かだと思ってほしい。